1989年ルーマニア革命 二コラエ・チャウセスク動画1



1989年12月16日 ルーマニア西部の地方都市ティミショアラで民衆によるデモが発生。

治安警察(セクリタテア)がデモ隊に発砲、多数の死傷者が出る。
ルーマニア共産党本部庁舎前の広場(旧王宮広場)で約10万人を動員したチャウシェスクを称賛する集会が開催された。

12月22日 - 革命勢力の攻勢は大統領宮殿にまで及び、チャウシェスクはブカレストから脱出し政権は崩壊、反体制派勢力は共産党の反チャウシェスク派とともに暫定政権「救国戦線評議会」を組織し、テレビ、ラジオ局を掌握した。

これにより「国営ルーマニア放送」から「自由ルーマニア放送」と改称される。

チャウシェスクは非常事態宣言を出し事態に対応しようと試みるが、軍隊が革命勢力に参加したことで頓挫、妻のエレナと共にヘリコプターでの脱出を図った。

しかし、一連の逃亡劇は反体制側に転じた自由ルーマニア放送他、世界各国のマスメディアで映像が流されるお粗末なものであった。

その後、首相のコンスタンティン・ダスカレスクは辞任、内閣も総辞職した。チャウシェスク政権時に政権批判をし投獄されていた政治犯も釈放された。その後、夜になると、ブカレスト市内各地で反体制派の軍隊と大統領派の治安警察による激しい銃撃戦(市街戦)が発生。多数の死傷者が出る。

12月25日 - チャウシェスク夫妻は特別軍事法廷で大量虐殺と不正蓄財の罪により死刑判決を受け、即日銃殺刑が執行された。

posted by 5150 at 20:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ルーマニア
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